この世は知らないことばかり。コノシラです。
本日は久しぶりに映画を観たのですが、
「この気持をどうしたものか」と憤ったので誠に勝手ながら、本稿にてぶつけさせていただきますw
これ以降、ネタバレが一部含まれます。
作品はコチラです。
「家族を想うとき」ケン・ローチ監督※原題:Sorry We Missed You「ご不在につき失礼」
【あらすじ】
- 父:リッキー(元建築労働者)、母:アビー(訪問介護士)、長男:セブ、長女:ライザ
- マイホームを夢見て、個人事業主として宅配サービス会社と個人事業主契約したリッキー。
- そこは壮絶な職場環境。雇用契約ではないので、病気になっても保険はない。休みも取れない。備品の機械が壊れれば契約会社から多額の弁償を迫られる。
- 過剰労働にならざるを得ないリッキー。アビーも多忙な訪問介護の共働きをする中、次々と家族にトラブルが巻き起こる。
- 家族が精神的にも肉体的にも追い込まれ、さらなる貧困へのスパイラルへ。夫婦の絆は?子どもたちの心のケアは?貧困が招く世界とはこんなにも恐ろしいのか。衝撃のラストを目撃せよ!
見どころ①:救いがない。
もう、マジでこれです。
ホラーよりも怖い。明日は我が身。誰も頼ることができないのか?救いはないのか?
と、鑑賞中はずっとそんなことを考えていました。
救いはありませんでした!
はい。結論ファースト。終了です。解散です。
この映画の中で、この家族は救われません!
リッキーはとても真面目な配達員である、誰よりも子供を愛す父親です。
すべてを家族に捧げています。
ただ、
なぜそんなにも苦しめられるのか?
トラブルに巻き込まれてしまうのか?
契約会社から責任を押し付けられ、弁償金を借金として上乗せさせられてしまうのか?
これは過剰演出でしょうか?過剰に不幸を煽って、エンターテイメントとする手法でしょうか?
私は、そんなふうに思えませんでした。全てがリアル。
明日我々の身に起こっても不思議ではありません。
日本では2019年12月の公開でした。我々を恐怖に陥れている感染症が巷に蔓延する前に作られた作品です。
当時でも映画「ジョーカー」や映画「万引き家族」と一緒に貧困のリアルをテーマに語られていました。
現在一変してしまった我々の世界に、さらにリアリティーを増して問題提起とともに襲いかかってくる作品です。
みどころ②:母アビーが聖母マリア様のよう。
これ、ただの感想じゃん!とツッコまれるの必至ですw
母アビーが映画の最初から最後まで健気で聖母マリア様のようなキャラなのです。
訪問介護で、身体的にハンディキャップのある若者や後期高齢者宅に訪問して、食事や下の処理を日々こなしています。
次のお宅への予約スケジュールが次々と押し迫る中、笑顔を絶やさず接する必要がある過酷な労働内容です。
しかも、リッキーの為に、自分の車を売って、宅配サービス用のバンを購入してあげる。
自分はバス移動で、時間に追われトラブルに追われ消耗しながらも文句を言わず。
息子の暴力事件にキレて取り乱すリッキーに「疲れすぎているから休んで」と優しい声をかける。
「はぁ、こんなにも他人に尽くせる人でも貧困の前には無力なのか。。。」
そんな陰鬱な気分になります(笑)
みどころ③:現場管理者のマロニーがマジむかつく(けど彼も犠牲者なのかも)
宅配サービス事業者の管理責任者と思われるマロニー。
お鍋のマロニーちゃんと同姓同名のくせして、めちゃくちゃいかつい。鬼上司?というか、宅配サービス会社の責任者です。
このおじさんがリッキーをぐいぐい追い込んでいきます。激詰めです。
こちらの事情は一切聞き入れられません。
休ませてくれ⇒代わりを探せ
事故で怪我をした⇒備品が壊れたので弁償しろ
急な用事で出社できない⇒罰金を上乗せして払え
もう、観てて腹が立つのですよ。
しかし、ふと考えるんです。
「彼もまた、資本主義社会の犠牲者なのでは?」
そうなのです。おそらく彼も元々が鬼ではなく、そうせざるを得ない社会で生き抜く処世術を体得し、労働の現場に還元しているだけなのです(おそらく)。
したがって、仮にですがこのマロニーちゃんを罪人的に葬ってもまた別のマロニーちゃんが移動してくるのだろうと。
結局社会に巣食う貧困の問題は、解決されないのか?
という気持ちにさせられてしまいます。
おわりに
今回は若干暗めな記事になってしまいました(笑)
ケン・ローチ監督はインタビューでこう答えています。
「映画監督として心がけているのは、『搾取や貧困を始めとする弱者が置かれた現実をどう伝えるか』です。全ての人たちが尊厳ある人生を送るために、私は映画を通して社会の構造的な問題を明らかにし、解決に導くべきだと考えています。なぜなら、社会的に弱い立場にいる人たちは、不当に扱われていることを世の中に告発する術をもっていないからです。」
出典:クローズアップ現代+
一つ一つの事象を捉えるのではなく、
社会の構造的な問題と向き合い、解決に導く。
これこそが、ケン・ローチ監督が伝えたい社会に問い続けてきたものなのだと思います。
したがって、安易に劇中では救いは訪れないのです。
救いが訪れてしまっては、私達の思考は「ハッピーエンドでよかった!」となって、つい30秒前まで自分自身を奮い立たせた怒りがすっと消えて、思考はそこで止まってしまうからです。
コノシラはそのように理解しました。
これから、秋の涼しい季節がやってきます。9月はシルバーウィークもあり、連休を取る方も多いのではないでしょうか。
かなりヘビーな内容ですが、お時間と心に余裕がある時にご覧になってはいかがでしょうか。
この世は知らないことばかり。コノシラでした!
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